長慶寺縁起


<縁起>

 長慶寺はその昔、上総の国、御宿(おんじゅく)(あざ)川間(かわま)、今でいう千葉県夷隅郡御宿町実谷(じっこく)、外房線御宿駅から西方約4kmの地点にありました。永仁3(1295)年、真言宗の僧により始められ、当時は安養寺と称していたようです。弥陀三尊を御本尊とし、念仏三昧だった様子。爾来300年、虎岳和尚の代に至り霊夢に感じて、字宮ノ下に七堂伽藍を設け禅寺となりました。 

 当時布施村にあった真常寺の六世、洲庵(しゅうあん)純佐(じゅんさ)禅師を拝請して曹洞宗に改宗。本尊・十一面観音を大仏宝殿に安置し、山号を川間山(せんげんさん)、寺号を長慶寺と名付けました。従来の本尊・弥陀三尊を別に弥陀堂を設けて安置。 

時は107代、御陽成天皇の御宇、慶長元(1596)年のことでした。豊臣秀吉の晩年、朝鮮出兵をした「慶長の役」の前年に当ります。豊臣の世も終わりかけ、風雲急を告げていました。 

慶長8(1603)年、5月18日、開山・洲庵純佐禅師が遷化した後、真常寺十世の宝国嶺逸大和尚が二祖となり門風大いに振るいました。爾後法灯400余年、法孫25世歴住するに至りました。 

現在地には明治38年、村上知宗和尚がボクして伽藍を再建。弥陀堂は明治初期の頃今の山神社前にあり荒廃するがままになっていたのを寺境内に移したという。 

 

<子安観音> 

 天文年間(15321555)より安産子育ての守護として存在し、21世・洞雲忍山(とううんにんさん)和尚の代に堂が建てられた。

 

<六地蔵尊>

 鎌倉時代の作。十方の篤信多く、23世・河崎回天和尚の代に堂建立。

 

<本尊>

 十一面観音菩薩。秘仏。享禄年間(15281532)の作。一尺二寸の坐像で霊験あらたかで、衆生の惑病を療じ寿命長音疑い無しとされる。ために長慶寺は以前より祈祷寺として観音霊場の一つとされてきた。

 

<五十一番札所>

 新四国八十八箇所第五十一番札所「長慶寺」

   西方をよそとは見まで安養の

      てらに参りてうくる らく